Tel:0569-21-1730 浄土真宗 真宗大谷派 坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1丁目58番地

2016/12 私という名の迷宮

あるとき自我が芽生え、
 人は、自分を世界の中心に置いて考えはじめる。
 あれが好き。
 これは嫌い。
 これは私のもの。
 あれは誰か他の人のもの。
 私は人より背が高い。
 成績はクラスで真ん中くらいかな。
 人間の五感、目・耳・鼻・口・触は外側の世界へ四方八方に向かってアンテナを伸ばす。

 父親母親など身近なところから始まって、社会や外の国のことへと興味は広がっていく。  しかし、たとえ宇宙の果てまで知り尽くしたとしても、それは所詮半分の世界のこと。

 もう半分は、心の中にある。
 心の中のことを放って置いて、外の世界に出て行ってしまうと必ず迷宮に迷い込む。 自分自身を問うことなく走り始めてしまうと、必ず溝にはまる。  人類の歴史を見直しても、そんな人ばかりだ。  他の人や国と衝突したり、搾取されたり、奪ったりである。  ひととき勝利を味わうことが出来たとしても、過ぎてしまえば皆敗北者である。  この頂いた命、半分の理解だけでは完結しない。  どうしても向き会わなければならないものがある。

 人はオギャーと生まれたとき、外も内もない。  腹が空いたら泣く。母親が微笑めば笑う。  生まれたばかりの赤ん坊にはわからないが、人はそれぞれ種を持って生まれてくる。  どんな種かはわからない。  成長し様々な形で社会と関わっていく過程でそれは形になっていく。  外側しか見ていない人は、その現象しか見えない。そして、運がよかったとか悪かったとか。それだけで過ぎてしまう。  本当に大切なものを見逃してしまう。

 多くの悲しみを抱えている人は、 「もうこれ以上、こんないやなことは 感じ取りたくない。」  と、心の奥底に封じ込めてしまう。  しかしそれは姿を変え、社会に対して寛容さがなくなったり攻撃的になったりしてしまう。  多くのテロリストたちは、心に抱えきれないほどの悲しみを持っているのは事実だ。
   むなしい人生を過ごしてきた人は、自分のこと以上に周囲を気にする。  右を見て、左を見て。自分の立ち位置を決めようとする。自分自身で決定できない。
   人は多くの種を抱えて生きていかなければならない。 そして、それと向き合わなければならない時が来る。  向き合うことを避け続ければ、一生私という名の迷宮をさまようことになる。  それは誰かのせいではない。自分自身だからだ。  先日ニュースで、世界平和と環境保護をプラカードに掲げ、今にも噛みつきそうな形相で訴える人たちを見た。  この人たちの心の中はいったいどうなってしまったのだろうかと。
 心の中で戦いを抱えている人は、       戦いしかもたらさない。
順正寺 住職

六角堂ステンドグラス

ステンドグラス

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