Tel:0569-21-1730 浄土真宗 真宗大谷派 坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1丁目58番地

葬儀の後

葬儀も終わり二七日三七日とお勤めしていくと、尋ねられる。
 「主人の遺品はどうしたらいいでしょうか?」
 生前の品々を処分することは、後ろ髪を引かれること。
亡くなった方を邪険にする訳ではないが、それでもどうやって前に進んだらいいのか分からない。
そんな思いが表情からうかがわれる。

水

 そんなときは、まず釈尊の言葉、
「諸行無常/しょぎょうむじょう」、のお話からする。
この世界、すべてのものは移り変わっていく。
誰ひとり例外なく、どんなお金持ちでも貧しい人でも。この私もときが来れば最後を迎えなければならない。
しかし人は心のどこかで。そんな現実は見たくない。そんなことは避けていけるに違いないと。
 突然の身近な人の葬儀に、今まで避け続けてきた現実が目の前に突きつけられる。
亡くなってしまった現実と、どう向き合っていいのか分からない。それでも河の流れは刻々と流れて過ぎていく。
少しの時間それを留めておきたいと努力しても、流れを止めることなど出来はしない。

 ただし、人には感情というものがある。
頭では分かったつもりでも心がついて行かない。
うわべばかりの仏教の理解ではこの時ばかりは通用しない。家の中に残された遺品とともに、こころの中にも思い出や歩んできた記憶がそのまま詰まっているからだ。
 亡くなられた方の遺品という形で、奥さんや息子さんはどうしても向き合わなくてはならないことがある。
 釈尊の言われる、 「諸行無常、すべてのものは移り変わる。」
命を頂いたものはすべて、この私、この身、この心さえも移り変わっていく。 誰ひとりその法に逆らうことは出来ない。 そのことを遺品一つ一つと向き会うことで、心を落ち着けていく。

 ここまでお話しすると、皆さん安心した顔になる。
 それを処分するのに、何か特別な方法はない。決まり事もない。ただ必要なのは、家族の命への理解だ。 仏教では四十九日の間を特別な期間として、出来る限り殺生をせずに静かにすごす期間としている。  ここまで理解していただくと、そのご家庭では自然な形で流れていく。

 人は、頭だけで理解するでもなく、心だけでもなく、
この身全体で理解するためにはときが必要だ。
そしていつか、堰き止められていた河が、 少しづつ流れはじめる時が来る。
                 順正寺 住職

六角堂ステンドグラス

ステンドグラス

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