Tel:0569-21-1730 浄土真宗 真宗大谷派 坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1丁目58番地

2020/01静けさの中 草はひとりでに生える

 濁(にごり)には五つの種類があると言う。
 一つには劫濁(こうじよく)、二つのは見濁(けんじよく)、三つには煩悩濁(ぼんのうじよく)、  四つには衆生濁(しゆじようじよく)、五つには命濁(みようじよく)。

 劫濁とは時代が抱えている濁り。
 見濁とは思想や考え方の濁り。
 煩悩濁とは人間の心に住む怒りや憎しみ嫉妬。
 衆生濁とは人の心が鈍く弱くなってはびこる濁り。
 命濁とは命の時間が短くなること。
 仮に、この時代に「時代の濁り」があるとするならば、人の忙しさにある。
 現代は、誰もが忙しい。  社会で働いている人が忙しくしているのもちろんだが、子供たちも、習い事や塾、やらなくてはいけないことが山ほどあって忙しい。  そして高齢者も忙しい。誰のスケジュール帳を見てもぎっしりと書き込まれている。  忙しいこと自体は悪いことでも何でもないが、それが当たり前になってしまうと、多くの問題が生じてくる。
 人は日々忙しくすることで、何かを得ているのだと実感したい。忙しくしていると充実した日々を送っていると思えてしまう。自分が何をしているのかどうかは二の次にしてである。  忙しいと書いて心が滅んでいくと書くのは、実に意味深いこと。この漢字を創りだした人は知恵聡明な人に違いない。
 濁りとは、悪いことでも何でもない。それを無理矢理清らかにする必要もない。それはこの世界の法則として何もしなかったなら自然と濁りは消え去り清らかになる。  それを阻んでいるのが、心の忙しさだ。泥の水に力を加え続けているのだ。
   私以外の世界では、命は再生を繰り返し森はすべての者を育んでいる。静けさの中で起こるべきことは起こり自然と成長する。  心配事もなければ嫌悪感もない。静けさの中ですべてはつながり合って生きようとしている。  風は通り過ぎ、花の種子を運ぶ。  土の中で茎の中で、何かが時を待っている。  そして花開く。  人間の抱える忙しさだけが、時に関係なく自分の都合でことを始めようとする。  忙しさは、私をひとり存在から切り離してしまう。  それは結果として骨の折れることとなってしまう。

mori

 私たちも私たちの体も、草や木と同じである。
 朝に反応し、日の光をよろこび、夜空と共感している。
 夜明け前、静けさの中、すべては一つの空気の中。
 鳥たちは羽ばたく準備を始める。
 木々の葉は、緑を集め、草は背伸びを始める。
 それは目に見えるものもあれば、見えないものもある。
 すべては、静けさの中で始まって、
 育まれているのだ。
順正寺 住職
 

六角堂ステンドグラス

ステンドグラス

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