Tel:0569-21-1730 浄土真宗 真宗大谷派 坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1丁目58番地

 みんなが出来るのに

自閉症から立ち直った青年が苦しんでいたとき、
 この言葉に、追い詰められていったという。
 「みんなは出来るのに、なぜあなた出来ないの!」
 「みんなは、そう思ってる。」
 「みんなが、やっているから。」

 当たり前のように聞こえるこの言葉。  日本人なら誰しも、この言葉の持つ細かいニュアンスを理解出来るだろう。
 その青年はこの言葉に追い詰められ、  どんどん狭くなっていく心の領域の中、
 自分のこころと、みんな、と呼びかけられるとき感じる違和感を、  少しずつこころの中で観察していった。
 そして、それを整理して言い表すことが出来るようになったという。

 みんなって、誰のこと。
 ボクは、ボクだよ。
 ボクには人格があるんだ。
 みんなって、どんな人格なの。

 彼は、見破った。
 その言葉がもつ偽善性を。  大人が、  みんな、というとき。  多くの場合は、そこに隠された意図がある。  自分(大人)の都合のいいようにことが進められるように、そこには個人の意志はいらない。  個人の人格を否定して、集団のために行動させようと。  言葉自体は害もなく美しいのだが、それを逆手にとって人をコントロールしようとする。  そんな人間の勝手なこころが見え隠れする。
 かつては「お国のため!」と、  個人の人格は完全に否定され、集団の利益のみが尊ばれた時代もあった。  今では、それに取って代わり、  「社会では、これこれだから!」  「社会では、そんなことは通用しない!」  「みんなが、そうやってる!」  などと置き換えられた。  言葉は違うが、根本的には同じことをしている。
 私も父親(前住職)とよく議論をした。
 よくよく考えてみると、父親が見てきた社会と私が見てきた社会は全く別の世界だったのだと思う。  しかしそれを言葉にすると「社会では、」という事になってしまう。  最初から出会うはずもないことを議論していたのだと今更に思う。  人が違い行動範囲も違えば、見えてくる社会も違う。  みんな。といってもそこに集う人が違えばそこに漂う空気も違う。ひとりひとりに人格があり、楽しいと感じる人もいれば居心地が悪いと感じる人もいる。
 社会の価値観も刻々と変わって行く。  人の考え方も変わっていく。  みんな。  といっても、様々な価値観の人たちが集まっていて、  結局その言葉は、意味をなさない。

 我が家の息子2人も、もうそろそろ大人と呼んでいい年頃である。彼らは彼らなりに自分で社会を見て、自分なりに理解をしているのだろう。  そして自分なりの考え方や人格なるものを育んでいることを期待している。
この時代、  一番の恐ろしいことは、自分の意志を持たない人だ。
 周りの人ばかりを気にして、  周りの意見ばかり気にして。  意志を持たない人は、集団に属するとその集団がすることは何でもする。  いじめや、それがエスカレートした集団内での殺人。  その原因は、私たちの身近にある。
順正寺 住職

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ステンドグラス

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