Tel:0569-21-1730 浄土真宗 真宗大谷派 坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1丁目58番地

2017/07 迷惑ってなあに。

「迷惑をおかけしました。」
「まったく迷惑な話だ。」
「息子たちには迷惑をかけたくない。」
この言葉、謝るときに使ったり人を攻撃する言葉になったり。
どうも自分に都合の良いように使われていて、素直に心に響いてこない。独特の言葉だ。
かつての日本の総理大臣田中角栄が、日中国交正常化のために中国を訪れた時、その日の晩餐会の席上。
「中国の国民に多大なご迷惑をおかけした。」
とこう言ったら、その当時の最高権力者の周恩来はじめ各大臣たちがみな怒ってしまい、日中国交正常化交渉は暗礁に乗り上げてしまったという。 日本側にしてみたら最大限の謝罪をしたつもりなのだろうが、どうやらそれは伝わらなかったようだ。

たとえば、ある人が会社のストレスに耐えきれず大声を出したとする。近くに人がいれば、「バカヤローうるさい。」とこうなる。実際に人に不快な思いをさせたのだから、「ごめんなさい。」である。

ところが、「迷惑なんだよ。」などと言われたらどうだろうか。
それはそう、こちらが悪いのはわかっている。しかし素直に謝ることが出来なくなってしまう。 こんな感覚はないだろうか。
大声を張り上げていたことは確かに迷惑には違いない。しかしそれは、近くに人がいたからである。
誰もいないところで大声を張り上げていたら、何ら問題はない。そんなことで気持ちが収まり、心機一転出来たならこんなに良いことはない。要はその時に近くの人に配慮したかどうかなのだ。

まあこの日本、狭い国土に一億二千万人もの人が住んでいる。自ずと人と人の間の距離は狭くなり、生きずらくもなる。人と人の距離がもう少し離れていたら、誰かが大声を張り上げてみても、
「何かつらいことがあったんだな。」
と、慈しみのこころで過ぎ去らせることが出来る。 しかし、人との距離が近いとそんな心も起こらない。
国土の狭い日本に住んでいると、自ずと周りの人に気を遣い配慮する心が育つ。近頃の若者たちは、人に気を遣ってだろうか、耳にはイヤホン、声は小さく、指先でスマホをシュッシュッ。そしてニヤニヤと。 周りの人たちが、あのまま言ったら車に引かれるんじゃあないか。駅のホームから落ちちゃうんじゃあ、と心配するほどだ。

人に迷惑をかけないようにすることは、それはそれで良いことだが、時にはそんなことも言ってられない。
格好良さなど放り出して、人に迷惑をかけてでも自分を見失わずに生きていかなければならない。
人に助けを求めたり、自分の思いを表現したり。
生身の人間がここで生きているのだ。
 人と人が関わって生きていく時、相手に迷惑をかけることもあろう。
 また逆に、迷惑と感じることもあるだろう。
 それがいつしか「お互い様」と言えるのだ。
順正寺 住職

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