Tel:0569-21-1730 浄土真宗 真宗大谷派 坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1丁目58番地

2018/02 戦いを避ける

人類の歴史をさかのぼれば、いつも争いばかりだ。 
人は、歴史から何かを学んだのだろうかと思ってしまう。 
 北朝鮮の核開発ミサイル発射を受けて、アメリカは今にも攻撃を行うかのような発言。  その狭間で、日本はもしもそんな事態になったならどうするのかと、議論が交わされている。 
 人の頭の中は戦いでいっぱいだ。テレビゲーム、スポーツの試合、選挙戦。また病気と闘うという事もある。  最近ではアンチエイジングと称して、老化現象と戦って若さを保つという表現さえ出てきた。 
 戦うことは、実に分かりやすい。 
敵がいて襲ってくる。自分の身を守るために相手を打ちのめす。難しい理論も法則も必要ない。 そして勝利すれば、バラ色の人生が開けてくる。 人はいつしかそのように錯覚してしまう。  いつの時代も権力者は、人々を戦いへと引き込みたい。 さらに、それでお金が儲かってしまう人がいるから話は厄介だ。 

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 争いのその先によりよい世界が存在したことはない。それどころか、ひとたびそれが始まってしまえば止めることはとても難しい。仮に止めることが出来たとしても憎しみの根を残すことになる。 戦いの真の勝者はいない。両方が敗者だ。 
 「戦ってはいけない。」 
と言う意味ではないが、真の勝者はどこにもいないと言うことを覚えておかなければならない。 
 この人間の愚かさを、仏教の祖師たちは観察してきた。 
人が戦いをはじめる時、心の中でいったい何が起こっているのかと。 
 それは、誰もが持っている心の中で起こり始める。 
 まず世界を二つに分ける。心の中が二つに分けられると言っていい。 
理由は何であれ、相手側が自分より優れているのではないか。強力な力を持っているのではないかと疑いはじめる。 知らぬ間に「戦いの観念」が入り込む。そしていつしか人は走り出してしまう。敵に向かって、戦いが始まる。 どちらかが勝者となりどちらかが敗者となるだろう。 勝者は勝ち誇り、敗者は敗北に打ちひしがれる。 心の半分は日のあたる場所へ、そしてもう半分は闇の中へと押し込められる。 そしてその分裂は永遠に続く。 その憎しみは、子供や孫へと引き継がれてしまう。 
 かつてインドでは多くの仏教徒たちが生活をしていた。釈尊の聖地は整備され多くの寺院が建てられた。 僧侶たちの学校は建てられ修行に打ち込むことが出来た。  しかし、隣国では巨大なイスラム勢力の王が誕生し、その国を攻め込もうとしていたのだ。
そして歴史上、突然インドから仏教徒たちがいなくなってしまったのだ。
何が起こったのか。 

 戦いを避けるために、仏教徒たちは大きな決断をしたのだ。
釈尊の聖地、築き上げてきた寺院や大学、そして自分たちの生きていくための生業までも手放して、ただインドから消えてしまった。
 当時の仏教徒たちに、勝者とか敗者といった考えはない。
どんな犠牲を払ってでも戦いを避ける。そのために何が出来るのか。そして未来にその根っこも残さない。
 仏教徒たちの先人たちは、そんな時代を通り抜けて来たのだ。 。
順正寺 住職

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