Tel:0569-21-1730坂田山 順正寺
愛知県半田市堀崎町1-58

はじまりは、1513年!それって、いつ?

この地にお寺が出来たのは、およそ500年前のようだ。
なぜ、そんなことが分かるのかというと、おそらくこの土地にする人々がお金を出し合って本願寺にお寺を造れるよう働きかけたのだろう。
現在順正寺には、それによって本願寺からいただいた「阿弥陀如来絵像」が宝物として伝えられている。幅64センチ長さ160センチほどの掛け軸となった阿弥陀如来像だ。
その当時お堂があったかどうかは定かではないが、その掛け軸をかけた前に人々が集まりお経を読み、手を合わせたのだろう。

その時代の十数年前に、本願寺中興の祖と言われる「蓮如上人」が現在の半田市亀崎に滞在されていたことが分かっている。蓮如上人は念仏の教えを分かりやすく庶民に布教されたことで知られている。
おそらくここ坂田村に住む農民たちにもその話が伝わり、亀崎まだ足を運びその教えに耳を傾けたであろう。
蓮如上人が布教されて十数年たってから、村人たちの中に「ここにもお寺を一つ創りたい。」という思いが膨らんでいったに違いない。
そのように考えると、「1513年に本願寺からご本尊/阿弥陀如来頂いた」というのも筋が通る。それを裏ずけるように、半田市内協和地区にある「雲澤寺」も同じ時期にご本尊/阿弥陀如来をいただいている。
さらに、ここらあたりの真宗のお寺には、蓮如上人直筆の名号/南無阿弥陀仏が一つづつ残っている、ということにも裏付けられる。

「半田」の由来は?

その裏書きに、「永正10年6月28日 尾州智多群坂田郷」と記されている。
当時の本願寺では、如来絵像を下付するときには裏に下付する先を記すことが通例であったようだ。 そこに記されている「尾州智多群坂田郷」を「さかたごう」と読んだか「はんだごう」と読んだかは分からない。おそらく半田の地名らしきものが記された掛け軸とさせている。

ただし昔は、半田村と言っても順正寺から住吉神社あたり、せいぜい半径500mほどの集落を呼ぶ名前であったに違いない。
半田村・岩滑村・亀崎村・乙川村・成岩村などの集落が集まって現在の半田市になっているので、おそらく、それらの村の真ん中に半田村があったので半田市というようになったのだろう。

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