この地にお寺が出来たのは、およそ500年前のようだ。
なぜ、そんなことが分かるのかというと、おそらくこの土地にする人々がお金を出し合って本願寺にお寺を造れるよう働きかけたのだろう。
現在順正寺には、それによって本願寺からいただいた「阿弥陀如来絵像」が宝物として伝えられている。幅64センチ長さ160センチほどの掛け軸となった阿弥陀如来像だ。
その当時お堂があったかどうかは定かではないが、その掛け軸をかけた前に人々が集まりお経を読み、手を合わせたのだろう。

その時代の十数年前に、本願寺中興の祖と言われる「蓮如上人」が現在の半田市亀崎に滞在されていたことが分かっている。蓮如上人は念仏の教えを分かりやすく庶民に布教されたことで知られている。
おそらくここ坂田村に住む農民たちにもその話が伝わり、亀崎まだ足を運びその教えに耳を傾けたであろう。
蓮如上人が布教されて十数年たってから、村人たちの中に「ここにもお寺を一つ創りたい。」という思いが膨らんでいったに違いない。
そのように考えると、「1513年に本願寺からご本尊/阿弥陀如来頂いた」というのも筋が通る。それを裏ずけるように、半田市内協和地区にある「雲澤寺」も同じ時期にご本尊/阿弥陀如来をいただいている。
さらに、ここらあたりの真宗のお寺には、蓮如上人直筆の名号/南無阿弥陀仏が一つづつ残っている、ということにも裏付けられる。